Piggy&Bunny

肩の力を抜いて生きたいアラサーが、息抜きと心の整理の為に書く雑記ブログ

産後当日 息子搬送

 

 

産院入院中のことも覚えている範囲で記録していきます。

 

 

 

分娩室で切開した部分を縫合してもらっている最中、誰も喋らない(気まずい)ので傍にいた助産師さんにふと尋ねてみました。

 

naru「口唇口蓋裂の子が産まれることって珍しくないんですか?」←無知を装う(笑)

助産師「そうですね、たまにいらっしゃいますよ」

 

この産院ではどのくらいの頻度で取り上げているのか気になったけど、息子が産まれた時も冷静に対処してもらえたのでとりあえずホッとしている。

実母の話によると、私が産まれた時は妊娠中に判明しなかったせいもあって現場はドタバタしていたらしいので^^;

 

 

ここで突然理事長が鋭い切れ味の言葉を刺し込んできた。

 

理事長「初期に薬とか飲んでなかった?」

naru「いえ、特には...(チラージンは飲んでたけど)」

理事長「ふーむ...」

 

こいつ、私が軽率に服薬や飲酒をしたから息子がこうなったと思ってるな...?

やめときゃいいのに私は告白してしまった。「見りゃわかるだろ」と思ったけど。

 

naru「あのー、私も左側の口唇口蓋裂でして...」

理事長「ああ、じゃああなたの遺伝だね

 

普通さ...産婦人科医がこんなことズバッと言う?

つい今しがた出産を終えた人間にメンタル掻き乱すようなこと言う?

 

 

遺伝。

 

妊娠中に病気が判明してから自分を責めなかったことはない。

理事長は遺伝だと言い切ったけど、本当はCLPはいくつもの要因が合わさって発生すると言われており、これといった原因が未だにわかっていないらしいです。でもうちの場合は母親である私がそうなので、遺伝要因が増える分、何の問題も無い夫婦よりはCLPの子どもが産まれる確率が上がるよう。

 

私なんかが不妊治療してまで子どもを望んではいけなかったのではないか。

何度そう思ったかわからない。

今でもたまに考えてしまう。

 

でも、

じゃあ私自身はこの世に産まれて不幸だったかというと、答えは否です。

中絶なんて考えもしなかった。自分の存在を否定するようなものだし、手術をすれば普通に生活できることを身をもって知っているから。

 

息子はこの病気のせいで多少なりともつらい思いをするだろうし、私を恨むことがあるかもしれない。

それでも自分を受け入れて自信を持って生きてほしい。

それができるように夫と一緒に支えてやりたい。

 

 

────と、妊娠中に心の整理をして出産に挑んだわけだから、

おめーがつべこべ言うんじゃねえ。

 

とまあ、自分が会話の発端になったというのに内心理事長に向かって牙を剥いていたのでした。

※縫合が痛かった腹いせでもある←

 

 

 

処置が終わったら車椅子で病室に運ばれました。

この時ほどU字クッションを作った人に感謝したことはない。

とにかくお股のダメージが想像以上で驚いた。

 

もうお昼前だったけど、手続き上朝から入院となっていたためか朝食が運ばれてきました。

しかしスムージーしか飲めなかった;

気を利かせて遅めに持ってきてくれた昼食もあまり食べられず...。あんなにエネルギーを使ったのに食欲が無いなんて、自分が自分でなくなったみたい(笑)

 

産後ハイだったのか、徹夜でのお産だったにもかかわらずなかなか寝付けず。

家族と仲の良い友人にそれぞれグループラインで無事に出産したことと息子の名前を報告し、少しやり取りをしたところでやっと寝落ちました。

 

 

それから寝たり起きたりを繰り返して夜を迎えました。

 

夕食(完食できた)が終わってしばらくして、病室に院長がやって来ました。

新生児室にいる息子の様子ですが、通常の哺乳瓶で授乳を試みたが上手く飲めなかったとのこと。

ああ、やっぱりか...。

 

というわけで他院に搬送決定となりました。

 

院長が病室に報告に来てくれた時には搬送先の病院に連絡済みで、先方が既に救急車でこちらに向かっているということでした。

 

Dr.「救急車が来るまで短時間ですが赤ちゃん抱っこしませんか?」

naru「はい、行きます」

 

身体はしんどかったけどヨタヨタと新生児室まで移動し、抱かせてもらいました。

この時抱っこを勧めてくれたことには本当に感謝している。

これからしばらく離ればなれになるし、二度と来ない”出産当日”に少しでも一緒にいられたのはありがたかったです。当日から母子同室は希望してなかったけど(笑)

 

 

ちっこい息子を抱っこしながら改めて彼の顔を観察。

実は口唇裂の手術前の子どもを直に見るのは初めてで、その風貌は本やネットでしか知りませんでした。私も同じ病気で生まれたけど術前の写真はありません。

 

息子は両方の唇から鼻の穴までが完全に裂けており、人中(鼻下の溝にあたる部分)は普通の形ではありません。丸い肉の塊がくっついているみたい。この時はまだ鮮やかなピンク色で痛々しかった。

この顔が本当に綺麗になるのだろうか、ちゃんと育てていけるのだろうかと漠然とした不安が滲み出てきた。

 

 

そんなことを思いながら待っていると救急車が到着。

これから総合病院のGCUに運ばれるとのことでした。

 

保育器に入れられ、息子とはここでお別れ。

妊娠中、助産師健診で「入院は一人だけど退院する時は二人ですよ〜」って笑いながら話してもらったけど、私は退院も一人になることが確定しました。

そうなる可能性が高いだろうと覚悟していたので、息子を見送った時は冷静でいられました。

 

でも病室に戻った時に息子が乗った救急車のサイレンが鳴り、それがどんどん遠ざかっていくのを聞いていると無性に寂しくなりました。

産まれて数時間で我が子を救急車に乗せてしまった。

妊娠中に問い合せた時に、搬送の可能性があると知った時点で出産する病院を変更した方がよかったのかもしれない。

 

じわじわと滲み出てくる罪悪感をうまく消化できず、少し泣いて出産当日を終えたのでした。

 

 

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