8年前の3月11日。未曾有の大災害が日本を襲いました。
あの津波の映像をテレビで見る機会は年々減ってきていますが、それでもあの不気味な波の動きは今でも脳裏に焼きついています。
東北に知り合いがいるわけではない。行ったこともない。
なのにこんなにも強烈に印象に残っているのは、首都圏も影響を受けたからなのではと思います。日本全国がお祝い事を自粛する流れになっていましたし、雰囲気も暗い。放送されるCMまで制限されていました。(ぽぽぽぽーん)
当時の皆さんはどのように過ごしていましたか?
ご自身が被災された方もいらっしゃるでしょう。
身内が被災された方もいらっしゃるでしょう。
計画停電に振り回された方もいらっしゃるでしょう。
募金やボランティアに協力した人もいらっしゃるでしょう。
普段どおり過ごした方もいらっしゃるでしょう。
私は九州住まいなので東日本大震災の影響は受けていません。
しかし、震災とは無関係の問題で人生で一番苦しい時期を過ごしていました。
大学を卒業して一年。
仕事はすぐには見つかりませんでしたが、なんとか就けたのはクリニックのパート事務。
半年経っても仕事に慣れず、叱責されることも増え、投げつけられる言葉もきつくなり、何とかしなければと焦るほど空回りしてまた失敗…という負のスパイラルに陥りました。
夜眠れなくなり、ご飯はおいしく感じなくなり、休日もどこかで監視されているような感覚に襲われました。消えてしまいたいと思うことも多くなりました。
これはマズイ状況だと自覚したのは、自傷癖がついていることに気付いた時でした。
……ということがあり、仕事を辞めることが決まったのが2011年の3月だったのです。
仕事がつらくて消えてなくなりたいと 日々思っていたある日、震災が起こりました。
突然命を奪われた人がいる。
日常生活を奪われた人もいる。
こんな無気力な自分はテレビの前でそれを現実とは思えないような感覚で眺め、(犠牲者の中には私のような人もいたかもしれないけれど)生命力に溢れた人達は波に飲み込まれてしまった。
自然の驚異に只々唖然とするしかありませんでした。
それと同時に「この世で一番苦しんでいるのは自分だ」と思っていた自分を恥じました。
あれから8年が経って被災地の復興が進み、国民の防災への意識も高まりましたね。
でもまだ苦しみ、戦っている人が沢山いることも事実。
私はというと、どん底に落ちていたあの頃とは違って今は元気にしています。当時は生きる屍状態だったのが嘘のよう。
人生とは人それぞれで、いつどこで幸せと出会うのか、または不幸に見舞われるのかわかりません。
いつ何が起きてもいいように後悔のない生き方を。
それが大切だってわかってはいるけれど、30を過ぎた今でもなかなかできずにいます。
理想通りの生き方をするのは難しい。
でも今日は、こうやって悩めること自体幸せなことなのだと感じます。
実は今日は父の誕生日なのです。
本人はあの日から「おめでとう」と言われることに罪悪感を感じているようですが、父がいなければ私はこの世に存在しません。
今夜は犠牲になった方々へ祈りを捧げて、父にはありったけの感謝と愛情を込めてお祝いのメッセージを送りたいと思います。
頑張ろう日本!
おめでとうお父さん!
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