ちょっとお久しぶりです、nazuです。
先週の木曜日に祖父が他界しました。
最後に会ったのは結婚前。いつの間にか2年以上の月日が流れていました。
県外だけど、無理してでも会いに行けばよかった。
お通夜が金曜の夜からだったので午前中に週末に入れていた病院の予約をスライドさせて受診したり、香典の準備をしたり…とにかく慌ただしかったです。
一報を聞いた時に沢山泣いてしまったので涙は枯れ果てたと思っていましたが、遺体と対面すると年甲斐もなく嗚咽を漏らしながら泣いてしまいまして…。母が背中を摩ってくれたのですぐに落ち着きましたが、やはり死という悲しみからはちょっとやそっとじゃ立ち直れません。
どうしても考えてしまいます。
両親は、弟達は、夫は、そして私はいつまで生きていられるんだろう。
誰が看取ってくれるんだろう。
看取られて死ねるんだろうか。
病気だろうか。老衰だろうか。事故だろうか。
いつか必ず訪れるその時が、今は怖くてたまりません。
先日亡くなった母方の祖父も、随分前に亡くなった父方の祖父も、病院で妻や子どもに見守られて息を引き取りました。
二人共病気でしたが、家族に看取ってもらえるって幸せなことだなと思います。
独りぼっちで死ぬのは怖い。誰かに手を握っていて欲しい。
まだ子どもがいない私は、もし夫に先立たれてしまったら生きる意味を失くしてしまいそう。私が先に逝ってしまったとしたら夫を独りにしてしまう。それは私にとって悔いが残る死だ。
「お父さんとお母さんの最期を見届けてもらうために、残された方が独りにならないようにあなたを産んだのよ」なんて言われたら子どもはたまったもんじゃありませんが、子や孫に手を合わせてもらっている祖父を見ながら、ふとそんなことを思ったのでした。
最後に、亡くなった祖父がどんな人だったのかを少しだけご紹介。
孫の私の目には"マイペースな人"に見えました。
農家なのでいつもビニールハウスの中で作業していて、趣味は何だったのか知りませんでした。
"マイペースで無趣味"
この印象はどうやら正解だったようで、葬儀の時に皆口々に同じようなことを言っていました(笑)
仕事が趣味のような人だったので、棺に入れられたのは仕事中に履いていた靴や帽子。お酒が好きだったので焼酎。病床で飲みたいと言っていたらしいサイダー。
そんな感じでした。
いつも仕事で忙しい家だったからあまり泊まりにいくこともなくて、祖父と一対一でゆっくり会話をした記憶はありません。
でも、とても優しい人でした。
私のことを「美しい」と言ってくれたのは世界でただ一人、祖父だけです。
「ほんなこつ美しか~」と。
そんなことを言われて恥ずかしがる私は見逃しませんでした。祖父の手に焼酎が握られていたのを。素面じゃないんか~い!(笑)
だけど、よくからかわれる容姿がコンプレックスだった子ども心には、たとえ酔っ払いの言葉であっても嬉しかったのです。30を過ぎた今でも覚えているんだもの。
改元を前に逝ってしまったのは残念ですが、充分頑張ったと思います。
次に会えるのは50年後か、それより後なのか、もっと早いのか、数日後なのか、明日なのか、数時間後なのか、数秒後なのかわからないけれど…
じいちゃんまたね。
↓ランキングに参加しています。クリックで応援して頂けると嬉しいです*