お久しぶりです、naruです。
新年度になって半月が経ちました。
4月はクラス替え、入学、入社など、新たなスタートを切る月。
環境の変化が苦手な私はな~んか昔から4月が苦手です(笑)
この時期になるとどうしても思い出してしまうのが、自分が新社会人になった頃のこと。
私が就活をしていた頃はリーマンショックの影響で世の中は就職難でした。
言うまでもなく、在学中に内定を得ることはできませんでした。
これは就職難だけが理由ではなく、4年間ダラダラと呆けていたツケが回ってきたんだと思います。なりたい職業がない。やりたくない事はあってもやりたい事がない。バイトの経験はあったものの、社会人として働いている自分を全く想像できませんでした。こんな人間を誰が採用するでしょうか。
これはもう普通に就活してもダメだろうと思い、大学を卒業する少し前から通信スクールに通って医療事務の資格を取りました。
子どもの頃から病院通いが多かったので、なんとなく医療現場で働くことに憧れがありました。でも医者や看護師は自分には無理。事務向きの性格だという自覚はあったので、じゃあ医療事務はどうだろうかと。―――そんな感じです。
そうしてようやく仕事に就いたわけですが、最初の職場は(スクール系列の)派遣社員として総合病院の受付に赴任。
ここがもうね……現場の責任者と初顔合わせをした瞬間「長くは続かないだろう」と直感的に思いました。
「傷付きやすいタイプ?それなら厳しいと思う。あたしキツく言っちゃうから~」
「辞めたくなったら会社じゃなくてまずあたしに言って」←絶対言うまいと心に誓った
この人は認知症患者を「頭悪い」と言っていたので、責任者以前に人として最低でした。
他にもお局様が何人も。
ろくに仕事も教えず、新人が失敗するのを待っているのです…怖
後から聞けば、私が入る前にいた人は3日目の昼休みに忽然と姿を消したそう。その前にいた人達も3ヶ月以内で辞めているということでした。でしょうね!
社会に出て初めての現場がそんな場所だったので只々恐怖。だけどやっと見つけた就職先でもあるので簡単には辞められない。そんな葛藤で頭の中はぐしゃぐしゃ。朝は駅のトイレでオエッとしてから通勤。
3日目にはやっぱり無理だと派遣担当者に電話をするものの、一旦は宥められて終了。
7日目にとうとう仕事を休んでしまい、再度担当者にSOS電話。その日の内に面談してくれましたが、「お仕事どうですか?」と訊かれた瞬間過呼吸。そのまま退職を認めてもらいました。
初めての仕事は一週間しかもたなかったことが情けなくて仕方なかったです。
もうこの会社の派遣先に頼るのはやめようと、ハローワークで未経験者可の医療事務の仕事を見つけて採用されました。そこは内科のクリニックでした。
院長がとても優しくて、奥さんも穏やかで良い人でした。採用された時は純粋に嬉しかったです。ここなら長く続けられるだろうし、長く働きたいと思いました。
ところがその奥さんが問題でした…
先輩に仕事を教わっている時に、手際が良いので「わーすごい」と漏らした私に一言。
「naruさんもこんな風になってね(にっこり)」
笑顔の圧がちょっと怖い。
しかし他にも「私、裏表がある人大嫌いだから、何か不満があったら遠慮なく言ってね(にっこり)」と言われました。新人がそう簡単に言えるかよ。
そんな中、奥さんよりも大変な問題が浮き彫りになってきます。
この職業に対する自分の適性の無さです。
新人なのでまだパソコンは触らせてもらえず、主に受付業務と薬の準備(薬剤師じゃないのによかったの?)に追われていました。
次から次へと出てくる課題に目が回り、メモを取っても必要な時に見る余裕が無い。
医療現場といっても受付なので接客業です。患者さんは十人十色。臨機応変な対応が求められます。
これは私に落ち度があるのですが…
同じミスを繰り返して先輩に叱られて落ち込んで、落ち込んだ感情を引き摺ってやってはならないミスをしてこっ酷く叱られて。自宅に帰ったら奥さんから電話が来て電話口でまた叱られて。←これはかなりキツかった。職場を出ても解放されないなんて…
足手まといの私を周囲の人達が見限り始めているのがわかりました。
どんどん自分が駄目な奴に思えて、生きる価値もないと思い始めて。
何も楽しくない。ご飯が美味しくない。眠れない。極め付けには自傷癖が付いてしまい、そこで「ああこれはおかしいぞ」と気付きました。気付いてよかった。
心療内科に行って話を聞いてもらったけど、「神経が敏感になってる」とかよくわからないことを言われ、結局行った意味があったのかどうか…。
当時の私はうつ病ではないけどうつ気味ではあったと思います。
でももう自分の中ではわかっていました。仕事を辞めたら改善するだろう、と。
ある日どうしてもベッドから出ることができず、奥さんに休むことを電話で連絡。そして退職したい旨を伝えました。
あの時の私は本当に酷かった。ボロボロに泣きじゃくりながら「もう無理です。死にたいんです私」とか言ってたなぁ。今思えば電話口でそんなことを聞かされた奥さんもしんどかっただろうと思う。
そしたら奥さんは鼻をすすりながら「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と。
結局責められるのかと絶望したのを今でも覚えています。
このクリニックで働いたのは半年ちょっとだったのですが、私にとっては5年ぐらいの月日に感じました。
医療事務として2つの職場に行きましたが、いずれも短期退職。
もう認めるしかありません。私にはこの職業は向いていない。
せっかくスクールに通って資格も取ったけど、恐らくどんな現場に行ってもこの仕事は無理だろうと思いました。
臨機応変に対応しないといけない仕事はパニックになるのでダメ。ルーティンワーク系がいいだろう。
それがわかっただけでも、医療事務に携わった意味はあったのかもしれません。
その後、THE・ルーティンワークを経験してみようと思い食品工場で派遣のバイトを半年。
派遣期間が終了して、やはりパソコンを使う事務職がいいと思ってとある子会社に就職。実はここが人生初の正社員。ところが業績不振で新人の私のクビが切られること8に…。やっとありつけた正社員の仕事は一年足らずで終わりを告げました。
会社都合による退職だったので、すぐに失業保険をもらえたのはよかった。←
その約3ヶ月後に同じ業界の会社に営業事務として就職。
そこも決していい会社ではなく、社長もクソみたいな性格のクソじじい(クソ2回言った)でしたし、お局怖いし、8時始業なのに7時45分から朝礼なので7時半には出勤しないといけない謎ルールがあったし、他にも他にも…………と言った感じで不満だらけだったけど何だかんだで4年勤めました。
この会社に骨を埋めるのだけは絶対に嫌だと思っていたので結婚を機に退職。
久しぶりの円満退職者だと自負しております(笑)
長々と独身時代の就業歴を書き連ねましたが、仕事での出来事を引き摺りやすい私にとってはあまりいい20代を過ごせていなかったなと…。
「仕事を辞めたい!!!」と潔く婚活を開始して本当に良かった。
現代は女もバリバリ働くのが当たり前だと言う風潮がありますが、そうじゃなくてもいいと思うのです。
自分がどう生きていきたいのか、心身ともに健康であるにはどうしたらいいのか。それが重要だと思います。
私はあれこれ頑張るのが苦手なので、今は専業主婦として子育てに専念しています。
世のワーママはすごいし偉いと思うし自分が情けなく感じることもあるけれど、でも私に合った生活は今なのです。
でもいずれはまた社会復帰しなきゃな……と思うとちょっと気が重い。
大学卒業後つらいことを沢山経験したけど、それでもまだやりたいことが見つからないんですよね。30代半ばに差し掛かって未だにどんな自分になりたいのか模索中。
今頑張っている新卒の皆さん!
いっぱい失敗したっていい。くじけたっていい。その仕事、辞めたっていい。
どうか心の声を聞くことだけは忘れないでください。心が悲鳴を上げたら間違いなく体も壊れていきます。
つらい出来事は学びに変えて、ゆっくり進んでいってくださいね。
私も迷いながら生きてます。
いつか導かれるような出会いがあるといいな。
「これだ!」と思えるような何かに。
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